振動

ゴロゴロゴロゴロドッカーーーーンビリビリビリゴロゴロゴロ・・・
地面まで震わせた凄まじい雷の後には、

ポツ…ポツ…ポツ ポツ ポツ ポツポツポツポツポツポツザーァァァァァァアアアアーーーーー
と、大量の雨が続いた。


今月は雨ばかり。外仕事も全くできず、稽古場にこもって作り物や事務仕事をするしかなかった。畑は気になっていたが、勝手にも私は内心少しほっとしていた。理由は、五月末にアメリカで警察の過激な暴力により命を落としたジョージフロイドさんの死をきっかけに、国全体を取り巻いた米国史上最も大きな社会運動から目と心を離せなくなっていたからだ。日々悪化していく状況にくぎずけになり、やるせない気持ちでいっぱいだった。400年以上も続いた黒人の人に対する人種差別の歴史とトラウマ。普段は蓋をしている気持ちが国として一気に表に出たのだ。その残酷な社会構成に対する怒り、アメリカで暮らしている黒人の友人や家族への想いや自分が偏見を体験する時の気持ちなど、様々な感情が込み上がり、心身共にずっしり重くなっていた。だから一日中静かに竹を割いたり、シトシトと山を潤す雫の音に耳を傾ける生活が、心に寄り添ってくれている様で心地よかった。外で陽を浴びながら元気よく働く、という心境ではなかった。
そんな中、ある「振動」が私の硬く縛られた心をほぐし、前に進める気持ちに切り替えさせてくれた。


お師匠さんの土地はミツバチにとても良い環境らしく、ある朝、猟友会の先輩が飼育している蜂の巣箱がいくつも設置されていた。離れていても聞こえる大量な蜂の羽音には子供の様にドキドキした。小学生の頃、キバチを手の中に捕らえブンブンいう音を耳元で聞いては背中がゾクゾクするのを楽しんだものだ。刺さないと知っていてもその音は本能的な危機感をくすぐった。


巣の設置が終わってからも興奮して飛び交う無数の蜂たちの羽音は、一つの安定したブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンという音になり、そのかすかな振動は不思議と体に染み込む様に心地よかった。
動物は危険を感じた後、体をブルブルっと震わせる事で大量に流れたストレスを体から放ち、トラウマにならない様にしているらしい。だから毎日ライオンに狙われ襲われる生活を送っていても、引きこもりこもりになるガゼルなどいないでしょう。
それと同じ現象でしょうか、この小さな生き物から発せられる繊細な振動は、空気を伝い、高ぶっていた私の神経をなだめ、心を優しく刺激してくれた。


でも、蜂が生み出す小さな波動は私一人の気持ちを動かすには十分だったが、これが大勢の人となればもっと大きな振動が必要だろう。
 

そう思った時、最近花火屋さんが行事がなくても花火を打ち上げる理由が解った。花火はお祭りと深いつながりを持つ伝統的なものだと、この地域へ来たおかげで知る事ができたが、もともと夏祭りとは疫病神払いが始まりとされているらしい。派手な飾り物やお囃子、火の明かりなどで疫病神をウキウキさせ、海や川にご退散願う、という願いが込められているそうだ。雨乞い太鼓も含め、昔の人々も振動を使って村が抱えていた悩みや嫌な気持ちを動かしていたのだ。


それを理解した時、この地域では花火が大切にされてきた事、そして今も地域を元気づけようと花火を打ち上げてくださる方々の想いに深い尊敬と感謝を感じた。


雲に集まる水滴の様に、人の気持ちも溜め過ぎず、たまには振動で揺さぶり出すことも大事なのかな。


さあ、私の気持ちも動き始めたところで、そろそろ天気も晴れてくれると良いんだけどな。