解体

 
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山菜や筍が食材として登場し初める4月。去年のこの頃は、罠にかかった鹿を獲っていた。

止め刺しから解体の過程を見ていると、形あるものとして動き回り、生きていた「鹿」が見る見るうちに部位ごとに精肉となり、その場からいなくなってしまう事が不思議でたまらない。さっきまでいたあの確かな「この鹿」という存在は、どこへ行くんだろう。バラすといなくなる、けどくっつければ蘇るわけでもない。何がつながると「生きたもの」になるんだろう。「生きたもの」としての存在は、肉と化した身体の、どこに蔵まっていたんだろう。

こんな事を考えていたのは去年の話。

今年はコンサートへ向けての準備で罠どころではなかった。

先日姉弟子の久美ちゃん、久美ちゃんの長年のギターの先生である柿澤先生と私の3人で、ミニコンサートを開催した。久美ちゃんと私の二人組ユニット「羽化連(うかれ)」にとっては初めてのライブで、クラシックギター、胡弓、津軽三味線と篠笛、というちょっと珍しい楽器の組み合わせ。初めて三味線を一人で演奏する機会も頂き、「津軽あいや節」の曲弾きに挑戦してみた。

基本的に津軽三味線の演奏は細かく決まった楽譜があるのではなく、色んな人の演奏を聴き、好きな手を真似して、自分で考えて組み立てるらしい。今までの様に、お稽古の為に頂いた楽譜をその通り弾くのとは準備の仕方が全く違い、三味線のお師匠さん、小野越郎さんに頂いた楽譜をベースに、自分で聞き集めた「手」を加えアレンジしていった。

色んな奏者のあいや節を聞くと、それぞれ調弦が違えばテンポも、リズムのとりかたも、始まるツボも皆違う。でもちゃんと「あいや節」になっている。最初は水の流れの様に動き続ける三味線の音色を自分の指でキャッチすることに苦戦したが、徐々にそれができてくると、とにかく面白いと思った手を片っ端から詰め込んだ。しかしパズルの様に継ぎはぎした曲は、発進を失敗したMT車の様に、ギクシャク、ガクガク。そしてエンスト。

がむしゃらに「手」を入れるだけではダメだった。ちゃんと盛り上がり、静まり、納まりを使い「流れ」を作らなくてはならない。企画のお誘いを頂いた3、4ヶ月ほど前から始まった緊張感は、なかなか決まらない構成への焦りと共に日ごとに増し、あいにくビブラートには繋がらない手の震えをなだめながら本番を迎え、終演に漕ぎ着けた。

今回三味線の出番が多かったせいか、色々な三味線の付属品の補充・取替が必要になり、終演後のハイで寝付けなくなった夜、和楽器のネットショッピングに没頭した。糸に指すり、滑り止め。新しい駒や音緒も欲しいなぁ。棹もそろそろ凹凸ができてきたし… 色々な備品を見ていたら、また解体の問題が思い浮かんだ。

楽器の音色は、どこに蔵まっているんだろう。

洋楽器については詳しくないが、和楽器はいくつものパーツでできている事が多く、繊細なパーツは壊れたり部分的に取り換えながら使う事が前提になっている。素材やつくりで音が変わる為、調整を重ねる度に楽器は少しづつ変化し、選ぶパーツの組み合わせは奏者のセンスを表す。

しかし良い素材の三味線を手に取ったからと言って、私の演奏が急に変わるわけでもない。技術を磨く事はもちろん、クラシックギターは爪が命と言うように和楽器も指にタコができたり皮が硬くなったり、身体が楽器の道具になるまでの時間と経験も必要だ。そして一つの曲を通して何を表したいのか、何を伝えたいのかは、奏者の一生をかけて集めた体験や感情が物語る。上手な奏者は沢山いるけれど、感動する演奏というものは、楽器と演奏者の境目が見当たらないように聴こえる。

まるで一つ一つの音色が楽器だけではなく、その人の身から染み出るように。

今までは「この楽器をどうこなすか」と、物そのものばかりに集中していたけれど、たとえ楽器ををバラして組み立て直しても出る「自分の音」と言うのは、楽器じゃなくて自分の中を探さなくてはいけないのかもしれない。コンサートは終わったが、「あいや節」はこれからも何度もバラし、自分の音色を見つけたい。

我ながら鹿の皮を剥ぐ事は得意だと思っていますが、音色の解体は、鹿の解体より、よっぽど難しいことでした。

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