先に立つ
ワサワサと木の葉を揺らす風は、木々のてっぺんだけに絡んでいた。わずかな木漏れ日しか届かないほど生い茂った山道を、父と父のハイキング仲間に連れられ歩いていた。
子供の頃の週末はよくこうして過ごした。人通りの少ないコースを好む父が選ぶ道は、蜘蛛の巣がみっしりかかっているような険しい道も少なくなかった。大人の前に出て先頭を歩く事は、子供の私にとっては大冒険の様でとても楽しかったのだが、転ばないようにと足元ばかり見ていると、突然、顔面に蜘蛛の巣をくらう事がよくあった。
山でよく見るジョロウグモの巣は、糸が強く、とにかく大きくてごちゃごちゃしている。なのに不思議と目立たないので、マラソンのゴールテープを切るようにフルスピードで巣に突っ込んでしまう。
突然「ミシミシッ」と音を立てて何かが顔にへばりつく驚きと、巣の中心辺りで獲物を待ち構えている、大きな、黄色と黒の縞々の蜘蛛が、もしかしたら自分の髪か襟に落ちたかも知れない!と思った時の恐怖は、恐ろしいものです。
それでも冒険はしたいので、長い枝を顔の前で回しながら歩く技を身に着け、これが先頭を行く人の役割になった。友達も一緒の時は交代交替で蜘蛛の巣を払いながら進んでいった。
先日、お師匠さんの「厄払い動画シリーズ」の解説動画をネット上で公開した。今回はそのシリーズの第一弾であった作品「露払い」の解説。英語の字幕も付けてみたのですが、翻訳する中で題名の「露払い」という言葉が強く印象に残った。
「道路を切り開いたり、大地を開墾する時に、一番先立って行く者」
簡単に言えば、「先導する人」だが、言葉をよく見ると、単に「先を行く」だけではない。
「露」を「払う」
濡れた芝生の上を歩くと、靴下やズボンの裾が濡れてしまい、しばらく靴の中が湿ってしまった…と言う経験をした事はありませんか?本当に、心地悪いですよね。
湿った靴下や、顔にかかる蜘蛛の巣、その他様々な妨害物や危険に対偶する事なく、安全に道を行ける様に、自ら仲間の先を行き良くないものを払い除けてくれる人。
それが「露払い」
その言葉には、人の先に立つ者の勇気や責任感の他に、思いやりや優しさを感じられる。
映画のワンシーンのように想像してみると、こんなところでしょうか:
静かな野原。登り始めたばかりの日光にキラキラと輝く朝露を、ひとり静かに払い除けて行く者のシルエット。道端に蛇などいたら、尻尾で掴んでヒョイと脇へ投げ除ける。その静かな背中には、後から来る人々の面影を感じる。
なんて綺麗な言葉なんだろう。
さて、英語にしてみよう。
先駆者、新しい道を切り開く人、そんな人を表す時に使われる言葉と、その言葉の直訳をいくつか並べてみると:
Spearhead - スピアヘッド(槍の穂先)
Pioneer- パイオニア(開拓者)
Leader - リーダー
Commander - コマンダー(司令官、指揮官)
Trailblazer - トレイルブレイザー(未開地などで道しるべとなるように通った道に目印をつける人)
なるほど。
言葉の情報だけで、まるで違う情景が思い浮かぶ。
こちらのシーンは険しい山道、もしくは戦場。絶対的な目的に向けてギラつく眼差し。己が誰よりも先に立ち、刃先で我が道を切り開く。
ドラマチックに膨らました情景かもしれないが、日本語と英語のニュアンスの違いは確かだ。
英語の方はもっともらしく、軍事的な言葉や戦いの匂いがする表現だ。仲間の為に、と言うより、戦いに進み出る勇敢な「我」が主張されている気がする。
それに比べ日本語の方は、「皆んなの中の自分」を思わせる。集団・コミュニティの為になる事を気遣う想いが練りこまれている。
その二つの言語が描くリーダーシップの肖像はまるで違う。
世界中の誰しもがコロナ禍からの抜け道を望んでいる中、ここから前進する方向へ国の人々を誘導する立場にいる者たちは、何を想い、何を動機に動いているのだろうか。
このコロナは、人々の先に立つ役職の責任と、そのリーダーシップはどうあるべきなのかを見直す機会を生み出したのかも知れない。